アレイダ・ゲバラ from キューバ 本当の豊かさとはなんだろう(2012.09.09)

「アレイダ・ゲバラ緊急来日」のフィルム上映、「ドス・キゼオス」ライブ

2011年7月23日、チェ・ゲバラの娘「アレイダ・ゲバラの緊急来日」の講演会が大反響のうちに幕を閉じた。「生活は貧しいけれど、私たちキューバはお金持ちと同じように死を迎えることができるのよ…」と語る彼女の言葉には、様々な歴史を乗り越えてきたという自信、そして、キューバ国民であるということの誇りが満ち溢れていた。
革命の英雄である父、ゲバラの事、アメリカとの関係、革命以降の苦難の事を語る。
アレイダ・ゲバラの最後の言葉がとても力強く残った。
「勝利が訪れるその時まで、戦いは終わらない」
チェ・ゲバラの娘として、小児科医として、踊りが好きなキューバ人として、この日、アレイダは様々な言葉や表情を残した。

「アレイダ・ゲバラ」の7月23日をI have a dreamのメンバーでもある映像作家・柵木氏が手がけるドキュメンタリー映像「un documental de ALEIDA GUEVARA」を上映。

2012年9月9日 18時開演 / 名古屋YMCA 2階ビッグスペース and カフェ

アレイダ・ゲバラ

医師であり、キューバ革命を成功に導いた、エルネスト・チェ・ゲバラの娘。ゲバラは1955年7月、貧しい人を救いたいと南米を旅している最中、カストロと出会い、彼と共に1965年、28歳の若さで革命に乗り出し、キューバの独裁軍事政権を打倒、キューバを独立へと導いた。アレイダ氏自らも医者の道に進み、南米やアフリカの貧しい子供達への医療活動を精力的に行っている。
キューバ親善大使として活動するアレイダ氏は「チェ・ゲバラの娘」としてだけでなく、アレイダ・ゲバラとして世界各国の多くの人たちを惹きつけている。
世界の医療問題を取り上げた映画、マイケル・ムーア監督の「シッコ」に出演。

ドス・キゼオス DOS QUISEOS

尾関氏は70年代、兄弟でブルースバンド「尾関ブラザーズ」を結成する。ソング・ライターとしても活躍。大阪のブルースバンド「憂歌団」からも支持され、この頃「シカゴバウンド」ほか10曲を提供する。その後もレゲエ、サルサと数多くのライブ活動を展開。
須藤氏もアメリカ黒人音楽、ブルースに影響され、日本語の歌詞をブルースに乗せてオリジナル曲を数々製作。名古屋、大阪、京都などでは弾き語りのライブを展開。大阪のブルースバンド「憂歌団」にも「ジェリーロール・ベイカー」を提供。1994年、二人はキューバへ渡り、キューバ、ラテン音楽を体感。
1996年ごろ、ラテンバンド「ドス・キゼオス」を結成。
その後の出会いにより、バンド最終メンバーは9人に。
2006年、2007年、キューバ政府より「ペペ・サンチェスフェスティバル」に招待される。2008年「ドス・キゼオス」活動休止。
その後、尾関氏はラテンバンド「パルマ・ソリアーノ」、同じく須藤氏も「アオラシ」を結成。
2011年「アレイダ・ゲバラ緊急来日講演」で「パルマ・ソリアーノ」「アオラシ」演奏。
2012年「ドス・キゼオス」結成当初に戻り再び活動を開始する。

DOS QUISEOS SPECIAL CONTENTS / イベントのために特別収録した演奏

Cafe Dufi

フード提供。
もちろんテーマは「キューバ」。
モヒート片手に、音をつまみに食す。